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僧侶・得度について知りたい方へ
昨今、在家一般の方でもさまざまな理由で、仏教に関心をお持ちの方が増えています。
比較的若い方の中には、仏門に入ることを真面目に考える方もおられます。
浄土真宗では僧侶になることを「得度(とくど)する」と言います。お寺の生まれ(「寺族」)ではない場合、得度する機会を得ることはなかなか無いかもしれません。
報恩寺ではここ数年、たまたまのご縁が重なり、寺族以外から5名の僧侶が誕生しました。2名は続けて教師(住職となる資格)も取得し、うち1名はちょうどタイミングや条件が整って、同じ組内の寺院の後継者となりました。
僧侶になるということは、基本的に仏事法要を営んだり、布教活動をすることです。また常に自身を問い、社会とのあり方をたずねることでもあります。上述の衆徒は、他にご自身の仕事や活動をしながら、お勤め・研鑽に励んでおります。
得度・僧侶についてご興味がおありの方は、まず下記の「補足」及び「Q&A」をご参考ください。基礎的なことはある程度ネット上でも調べられますが、家の菩提寺や近隣の寺院、僧侶の方とお会いして具体的なお話をお聞きするほうが大事です(宗派教団によって相当異なる場合があります)。
その上で、もし具体的にご確認されたいことがあれば、その点お問合せフォームよりご連絡いただきましたら、住職がメール相談に応じます。
なお、実際に得度を目指されたい方は、お住まい近くのご住職やご寺院とのご縁をまず先にお探しいただくことをお勧めします。
また現在、当寺院においては、住職後継者となれる方を前提として、衆徒のご相談を受け付けております。具体的には、寺中というやや特殊な関係であることや実際の法務については個別にご説明いたします。(令和5年1月)
*ちなみに、住職となる教師資格については、得度と同様京都西山別院において二週間(前期後期と分割も可能)の教修が必要であり、(養成機関卒業者以外は)事前に京都本山において二週間の講習会と試験を受講する必要があります。
【いくつか補足】
1)お問い合わせいただく前に、まず私どもは宗門(浄土真宗本願寺派)全体ではひとつの末寺であって、特別な養成プログラムや人的体制を備えているわけではありません。在家一般の方にとっては概ね未知の世界であろうと思われる僧侶の道について、主にメールやお電話にてアドバイスなりご教示をさせていただいています(ただし、衆徒としての得度支援は今現在行っておりません)。
念仏者・僧侶を育てるというのは、住職という立場であれば本来特別なことではないものの、特に真宗各派においては世襲寺院が多く(自分も含め)、今後の社会状況が大きく変化していくことを考えるとき、世間で揉まれたような在家の方の発心も、仏教界全体にとって大事だと考えるところです。
2)ただし、仏教の勉強をしたい、真宗の教えを広めたい、自身の生き方において飛躍を図りたい、というだけであれば必ずしも僧侶となる必要はありません。ご自分が僧籍を得ることで何を求めたいのか、仕事の兼ね合いはどうするのか、どういった方面の活動に関わりたいのかなど、僧侶としての自分・将来ビジョンをある程度お考えください。
そのためには、仏教や僧侶という仕事について、あらかじめ実際のお寺さんに触れて、実態を知っておくことも大切です。伝統教団もひとつの組織ですから、保守的・格式的な面もないとは言えません。
3)もちろん、はじめから志を確立して臨むよりも、多くは実務や精進を重ねる経験の中で培われていくものです。
近年は、在家の方や年配の方も多く得度に臨まれますが、実に様々な動機や立場の方がおられます。僧侶となってどこかの寺院の法務員(役僧)となったり、住職資格をとって入寺したりなどご縁はさまざまですが、普段は他の仕事をしながら兼業の方も多いです。
しかしいったん宗教者となれば、自らを律し、儀礼を執行し、法を説くという、世俗から一線を画す人間とみられることになります。寺族のものも含め、さまざまなタイプの宗教者がおられますが、僧侶は資格・生業というより、生き方そのものに深く関わるあり方だということをご承知ください。
*ちなみに、本願寺派以外(大谷派、高田派など)では一泊二日にて僧籍を得ることはできます。しかし、別途専門学校や本山に通って実務を身につけられる方が多いようです。
以上ご理解の上、ご相談いただくならば、お聞きになりたいことのほか、
1住所(町村レベル)
2家族構成
3ご実家の宗派
4職歴
5仏教または真宗のどのような点に惹かれたのかきっかけなど
6僧侶としてどんな仕事をイメージされているか
について合わせてお聞かせください(4-6はおよそでも結構です)。
住職より

報恩寺住職 林 暁
平成27年より現在まで、在家の方を得度(僧侶になること)へお世話させていただく機会が相次ぎました。それぞれに個別の動機や事情を抱えておられ、指導する側としても大変勉強になりました。自分のような中途半端な坊主で良かったのかどうかはわかりませんが、念仏者を育てるご縁いただけるのは、寺を預かる者として何にも増して有り難いことです。
セミクローズなお坊さんの世界で、在家の方からのフレッシュな風は(未知の世界への苦労は当然としても)ご門徒方にも教団にとってもますます必要と感じます。と同時に、志の一つも持って僧侶の道を歩む方には、世俗の(経済的、自己中心的)価値観を相対化するような宗教性や信仰に触れていくことが、人生の大きな転機にもなるでしょう。
ただし、浄土真宗でも本願寺派以外にいくつも派=本山があり、また他の宗派教団でも在家から僧侶になることはできます。また、僧籍を得てそれでおしまいではありません。仏法を人生の拠り所とし、僧侶としての法務や活動を自分なりに研鑽し、広げていくことが求められます。
釈暁裕 拝